ひだまりのおうちを作るまで

私の祖父は日田で町医者をしていました。
子供の頃からその様子を近くで見て育ち、看護師、特に地域に出て行き訪問診療などを行う仕事に憧れました。
その当時は「訪問看護師」という言葉自体なかったかもしれません。

はたらく看護師さんになりたいと強く思っていました。
高校卒業後は東京の看護専門の学校へ行き、その後その大学病院で働きました。
まずは東京の大きな大学病院でいろんな知識を身につける。そしてそれはきっと私のやりたい「地域に出て働く訪問看護の仕事」に必要なことだと思っていました。

大学病院の後、訪問看護ステーションに入り、そこで経験を経て、訪問看護認定看護師の資格を取りました。
そして、9年前、生まれ育った日田で訪問看護師として働くために就職活動をしたのですが、残念ながら受け入れてもらえるところが見つからず、それならばと福岡へ来ました。

そこで出会ったのが、在宅診療を専門に行っている「小さな診療所」でした。

そこの先生が小児外科出身の方だったこともあり、高齢者の患者さんはもちろんですが、病気や重度の障害を抱えたお子さんたちにも出会いました。
そしてそのお母さんたちともふれあう事で、ご家族が24時間体制でお子さんたちを看て、命を繋いで行くことの大変さを目の当たりにしました。

福岡市内には訪問ステーションはそれぞれの地域にすでにあったけれど、看護の必要な子供たち専用の施設はありませんでした。
それだったら私が作ろう!と独立を考えました。寝たきりの子も動ける子も一緒に過ごせる場所を作りたいと思いました。

まずは児童発達支援管理責任者の資格を取り、会社を設立し、最低限のスタッフを確保し、平成26年の10月に重症心身障害児を対象とした、児童発達支援・放課後等デイサービス「ひだまりのおうち」を開設しました。

現在について

現在、福岡ではうちにいる子供たちのように呼吸器をつけている子供たちは当たり前のように支援学校に行っています。多くの地域でもそうだと思います。しかし、それは決して、当たり前ではないと思うんです。中には元気に走りまわり、自分で吸引器を使って喉に開けた穴から痰を吸引する練習する子もいます。

子供の時から障害のある子とそうでない子を分けてしまっては、社会に出てからもその壁はできてしまう。

大人がその「障害」を作っているんだと感じています。

今このような子たちは保育園の待機もさせてもらえないような状況にあり、社会一般的に知られてなさすぎるのもその理由の一つかと思います。

現在ひだまりのおうちに通い、来年小学校の男の子がいます。ほとんど自分のことは自分でできる。まだ県下では前例がないので難しい部分もあると思いますが、しっかりご家族をサポートし、支援学校ではなく地域の小学校に入学できると私たちスタッフも手応えを感じているところです。

これからについて

現在はスタッフも10名になり、それぞれ児発管、看護職員、リハビリ師、保育士、児童指導員と役割はそれぞれ。やはりこれらの仕事は「人」にしかできないことだと思うんです。
今後、時代とともに変わってくることもあるでしょうが、自分には何が必要なのか、何が必要とされているのか、常にアンテナをはっています。

私の原点である訪問看護。

いつか必要とされてまたそこに戻っているかもしれませんし、やりたいことをやり続けて今にたどり着いているんです。
これからも前を向いて、進んでいこうと思います!

一般社団法人そらとぶバギー 代表
ひだまりのおうち 代表理事

看護師/統括責任者 川津有紀